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成田屋通信
2005年11月21日
入院日記23

入院日記が更新されました。昨年、伊勢神宮へ参詣した折のお話です。  9月18日は中秋の名月だった。今年は一段と綺麗な満月が見えるとニュースで報じていた。病院の窓は開かないので窓ガラスに顔を押し付けてすっかり暮れた東京の東の空を横目で覗いてみると、高層ビルが邪魔をしてもう少し月が上がって来ないと見えそうもない。窓から離れると鼻の油が丸く残っていた。
 日本の神話には、伊邪那岐(イザナギ)伊邪那美(イザナミ)の産んだ神々の中で、天照大神(アマテラスオオミカミ)と弟の素戔嗚尊(スサノオノミコト)はよく知られている。天照大神は、太陽の神である。素戔嗚尊は暴れ者で高天原(タカマガハラ)を追われ、出雲の国で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治してその尾から天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ)を得る。これを天照大神に奉り、後に草薙の剣と称し、三種の神器の一つとして皇位継承の印となる。この剣は歌舞伎の題材にも多く取り上げられる源平の世界で、壇ノ浦の合戦のとき平家滅亡と共に、海中に没したとの説もある。この天照大神と素戔嗚尊の間に、もう一人の男の兄弟がいる。これが月の神、月読尊(ツクヨミノミコト)または月読大神(ツクヨミノオオカミ)である。
 病院のベッドでくつろいでいると、窓の隅に少し明るさが感じられたので、窓にへばり付いて中空を見上げると、本当に綺麗な月読大神が輝いていた。
 日本神話では、伊邪那岐、伊邪那美の間に産まれた、陽の象徴である太陽の神が女性で、陰の象徴である月の神が男性である。
 これがギリシャ神話になると、万能の神ゼウスとレトの間に産まれた双子の兄のアポロンが太陽の神となり、妹のアルテミスが月の神となる。それぞれの神話が物語る同じような事象も、男女全く逆の捉え方になるのというのは、文化の違いとして面白いと思う。
 平成16年の海老蔵襲名の前、海老蔵に対して、私自身の襲名の前には、心の準備の一つとして十代目海老蔵襲名の時は北鎌倉の円覚寺に参禅し、團十郎襲名の折は成田山に参籠したという話をしていた。勿論修行などと云える日数では無く、単なる経験の域を越えるものではない。
 全く強制した訳でも無く、また強制されるべき事でもないが、海老蔵は自分で手配して成田山に参籠した。
 そして、いよいよ襲名の年、突然海老蔵が
 「伊勢神宮に行ってみたい」と、言い出した。
 「え!どうして?」
 「今まで一度も行った事がないし、古い歴史がある。そこに何かあると思うので、見ておきたいし、祈願もしたい。」
「それなら、皆で一緒に伊勢に行こう。」
と、話がまとまり、4月に家族4人と案内してくださる方とで伊勢に出かけた。
 新幹線で名古屋まで行き、近鉄特急に乗り換えた。
 今の私鉄はいろいろ工夫をしている。乗り込むとカラフルな仕切りで囲われたゆとりのある個室風なテーブルのある席に座った。
 「お腹が減った。」
と、直ぐにテーブルの上にお弁当や、お〜い、お茶などが並べられた。名古屋から宇治山田駅まで近鉄特急で約1時間半弱の行程だが、ワイワイしている内、あっという間に山田駅に着き伊勢神宮に向かった。
 伊勢神宮は内宮、外宮の二宮から成り、内宮には天照大神が祭られ、外宮には豊受大神(トヨウケノオオカミ)が祭られている。
 天照大神は、勿論太陽の神である。豊受大神は、食料の神で、天照大神の食事を司っているとの事であった。月読尊、伊勢では月夜見尊と書くが、宮は豊受大神宮の別宮となって待遇は少し低いようだ。古代の人々にとって、太陽の恵みと、豊作による食料の確保が最重要課題であっただろう。月の風情を楽しむゆとりなどなく、生きることに必死だった事が伺える。まさに花より団子である。内宮に日々の糧を納める外宮は、すぐ傍に祭られているのではなく、両宮は5キロメートル位離れていると思う。
 ごく個人的な襲名の報告と祈願を目的としていたとはいえ、行在所を借りて紋付羽織袴の正装に着替え、細石を踏んで、まず外宮の豊受大神に参拝した。