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成田屋通信
2005年11月07日
入院日記20

入院日記が更新されました。今回は少々堅いお話です。  憲法改正でいつも問題になるのは憲法九条である。
 第二章 戦争の放棄
  第九条 戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認
   一、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
   二、前項の目的を達する為、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 この条文は当時世界を驚かせたようだ。世界を大混乱に陥れた世界大戦の後、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」との宣言は、狼の中に羊を放すような危険を孕んでいるからである。
 だが、「キリスト教にあるように<汝、右の頬を打つものあらば、左の頬も向けよ>と、あくまで無抵抗の平和主義に徹し、敗戦国の責任として滅私の精神で例え他国に我々が領土と思っている土地、また同僚と思っている人々が、暴力でどの様に蹂躙されても、世界の平和を願って一切力ずくで抵抗しません」と、この条文は日本人が約束したと解釈するのが当然だ。
 私は、法律を勉強した事はない。法律の専門家から見れば、国際法に照らして自衛権云々と言うかも知れない。
 しかし、法律に素人の多くの日本人が、この憲法九条の文言を解釈すれば、今の解釈に帰結せざるを得ないと思う。
 例えどのようにされようと、どんな目に遭おうと、世界の平和のため、この崇高な理念に徹し、覚悟を決め、日本人の手によってこの平和憲法を世界に提示したならば、誇らしくも思う。
 だが、この平和憲法が、平和への理念だけで、戦争の放棄と武力の放棄を宣言したのでは無い、となれば話は変わってくる。
 憲法九条は平和への理念がなかった訳ではないが、その奥に【くさび戦術】があるようだ。【くさび戦術】とは私の造語ではない。 歴史家ジョン・ダワー氏の『敗北を抱きしめて』にも「憲法における戦争放棄条項は、ある組織の輝かしい成功の実例の一つである。しかし、そこには単なる巧みな政治的操作以上に、人々の心に訴える力を持っていた」と、ある。
 占領軍は、敗戦国の抵抗や反乱を如何に抑えるかに心血を注いでいる。現に、歌舞伎もこの影響をうけ、仮名手本忠臣蔵など敵討ちを主眼とした演目は上演を禁止された。
 憲法九条が平和への願望だけでなく、巧みな政治的操作の結果、起草されたにせよ、正に瓢箪から駒が出た。
 平和に対する保障、すなわち戦争の放棄が憲法九条によって確保されとことにより、その後の日本の発展に役立ったと思う。
 しかし、良い事ばかりではない。法律には素人の私でも疑問に思うのは、第二章[戦争の放棄]に続く、第三章の[国民の権利及び義務]第十一〜十二条で保障する個人の自由、生命、自由の追求の権利を国民の責任、立法その他国政の上で最大の尊重を必要とする、とあるが、他国から憲法で保障している国民の権利、即ち人権、生命を暴力で侵されたら、憲法を守る国民の義務として、なにを以って人権、生命を守るのだろうか、ということである。
 憲法の人権、生命を守る義務があるとの名目と、米ソ冷戦や戦勝国の都合により、警察予備隊ができ、後に自衛隊となる。どう見ても、陸海空軍そろった立派な軍隊である。
 今までの政府は、いろいろな法の拡大解釈を使って合憲に押し込んだ。
現実的には止むを得ない苦しい対処とはいえ、法の拡大解釈は許されるべきでないと思う。 
 私は、平成元年歌舞伎座、日本大学創立百年の折、日本大学の前身である日本法律学校の創立者であり、司法相、また法典編纂に尽力した山田顕義を描いた『 孤松は語らず』(杉山義法脚本)で、山田顕義を勤めさせて頂いた。
 この物語は、帝政ロシア最後の皇帝ニコライ二世が、明治24年に皇太子として日本訪問中、大津で一巡査の津田に切りつけられ負傷した大津事件を題材にしている。
 政府はロシアへの体面上、死刑にして誠意を見せたい。ところが、当時の法律では例え相手が誰であろうと、単なる障害事件では死刑に出来なかった。そこで、政府はあらゆる方向から法を捻じ曲げ、拡大解釈をもって死刑の判決を下させたのである。
 この芝居では、拡大解釈は、法その物の存在価値を否定するものであると、真っ向から反対しているものであった。
 私も、私達の最高の理念と約束である憲法は、素直な心で読み取るのが大切だと思う。
 世界平和を高らかに謳い上げ、しかも、現実をはっきりと見据え、拡大解釈などせずに、崇高なる目標を達成できる日本国憲法を日本人の叡智を結集して作り上げ、私達が憲法の賛否を語り合える機会を是非作って欲しい。
 今、日本国憲法の条文に目を通している日本人は存外少ないと思う。
 改めて多くの日本人が自分達の憲法に触れ、考え、論議することが、これからの日本そのものを変えるよい機会になるのではなかろうか。