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成田屋通信
2005年10月24日
入院日記16

入院日記が更新されました。自宅近くの公園でのお話です。  今回の検査の結果が出るまで、病院にいても意味がないので医師と相談の結果、2日間家に帰ることになった。
 退院ではなく外泊となる。
 外出、外泊は医師の許可が必要で、書類にいろいろ書き込まなければならない。
 病院や医師は患者に対して責任があるから、万一の場合にはすぐ患者と連絡が取れなければならないので仕方ないことだが、入院生活はやはり自由が少ないと実感する。
 それも病気を治すためだと自分に言い聞かせるが、「もっと自由になりたい」と、叫びたくなる時もある。
 家に帰ると、幸せなことに窓の外は緑でいっぱいだ。今の東京の住宅事情では、自分の家に帰っても窓の外は何も見えない、見えないどころか窓も開けられない所にやむ無く住んでおられる方もいらっしゃる中で、本当に申し訳ないほど恵まれていると思う。
 昭和34年港区の笄町から今の場所に越して来た。
 当時、旧山手通りの辺りは何もなく、渋谷から南平台を通って我が家に歩いて帰ると、途中に総理大臣を務めた岸信介氏や三木武夫氏などの立派なお宅が建ち並んでおり、樹木も鬱蒼と生い茂っていて、人通りなど全くなかった。
 今の旧山手通りは、初夏に薄緑色の花を咲かせる槐の並木以外に昔の面影は全く感じられない。アパレル関係のオフィスや店が建ち並び、オープンカフェに人々がたむろし、賑わいを見せている。
 家に帰って、足慣らしに散歩に出る。今から20数年前に我が家の目の前に遊歩道のある公園ができた。
 自分達が手懸けた訳でもないのに、環境がどんどん良くなって行くのは幸せだ。
 去年発病する前、園内の桜もほころび始めた頃、少し太り気味になったので、この公園を1日100周するノルマを課して早足で歩いていた。
 今病院から帰ったばかりで公園を歩いてみると、存外体が軽いのでつい腕を高く構えてジョギングを始めてしまった。
 1周すると、公園のベンチには同じベンチに日がな1日座り続けている人が何人かいて、傍には捨て猫らしい猫たちを集めている。顔見知りであるが挨拶をした事はない。
 彼らは早朝に何処からともなく現れ、公園を掃除している。昼間はベンチに座り猫に餌をやったり、居眠りしたりして動くことなく過ごし、夜になると何処ともなく去っていく。身なりも決して良いとは云えない。間違っていたら申し訳ないが、どう見てもホームレスの方々としか見えない。
 人はそれぞれの人生と生き方をもっていて、彼らも彼らの規律があるようだ。
 朝の掃除にしても、今のホームレスらしきメンバーの前のメンバーが始めていた。
 朝の公園の掃除が、どういう継承の仕方か分からないが、今のメンバーに引き継がれているらしいし、見晴らしの良い場所のベンチには決して座らない。
 この公園も春の花見の季節になると、昼間から青いシートを敷いて場所取りをし、夜になると住宅地にもかかわらず夜遅くどころか朝まで騒いでいる。
 翌日公園を見ると一応ゴミ箱にゴミを片付けているようだが、溢れたゴミが散乱していた。
 世の表街道を歩いている人々と、裏街道を歩む人々。一概に決め付けるのは危険だが、一応表街道を歩んでいると自負する私としては、自分は表街道を歩んでいるとの奢りがあるのではないかと反省させられる。
 千葉の成田山新勝寺は、代々市川家とは深い御縁を頂いているのでお参りに伺うが、ある時の貫首猊下の言葉が思い起こされた。
 「悪い事をして懺悔するのは当然の事である。人が生きていれば気が付かないうちに人を傷付けたり悪い事をするものである。自分では気が付かない罪を懺悔する心が大切である。」
 実行するのは難しいことではあるが、心しなければならない。
 公園を1周すると、さすがに病院から出たばかりのためか息が切れるので、ジョギングはやめた。