ホーム > 成田屋通信
成田屋通信
2005年10月20日
入院日記15

入院日記が更新されました。気になる権十郎丈の続きです。  「おじさん、いつもそんなにジッとして何もしないのですか。テレビを見るとか、本を読むとかしないんですか。」
 「あぁ、本は老眼で読むのが大変だし、テレビは点け方が分からないんだよ。」
 「じゃあ、麻雀でもしましょうか。」
 「もちろん、やろうじゃないか!!」
 水を得た魚のような勢いのある声が、今までの静寂が嘘のように、夜のしじまに響き渡った。
 仲居さんに麻雀の台を頼み、メンバーを集めた。こういう時の行動は実に速い。あっと言う間にメンバーが集まり麻雀が始まった。
 好きな連中が集まり打ち興じるのだから、大変な賑やかさになる。投宿している旅館の同じ階は我々の関係者だけなので問題はないが、もし他のお客さまが居たら顰蹙をかうだろう。
 殊に、権十郎のおじさんは賑やかだ。さっきまで何時間もテレビも点けず無言のまま静寂のなかでジィーッとしていた人と同じ人格とは思えない豹変ぶりである。 
「ギャアー!」
「これでもか!」
「ウヒョー!」
 甲高い声を張り上げる。阿佐田哲也の『麻雀放浪記』の世界では放り出されるだろう。麻雀よりも、喋り倒しわめき散らすことを楽しんでいる。私より28才年上だが、年の差を少しも感じさせない元気さだ。
 普段負けることが多いおじさんだが、この時はなぜか絶好調で勝ちまくっていた。
 そろそろ終わりにしようと最終局が始まり、
 「リーチ!」
 景気よく大きな声でおじさんがリーチをかけた。振る牌に困ったひとりの役者がヤケクソで、
 「持ってけ泥棒、冥土の土産だ!」
 と、危険な牌を麻雀台の真ん中に叩きつけた。
 「ローン!」
 その2年後におじさんは亡くなった。
 権十郎のおじさんは、渋谷の海老様と呼ばれ、一世を風靡した。父十一代目の手懸けた役を渋谷の東横ホールで次々と演じ、その役を教わる為に、父のところへ足繁く通ってこられた。早く父を亡くした私に「お父さんには大変お世話になったので、御恩を返す」と言って、何も分からない私に、手取り足取り、色々な役を教えてくれた。この御恩は一生忘れるものではない。
 父にしても、権十郎のおじさんでも、この時代までの人々は、静かな空間に身をおいて想いを巡らし、ものを考えていた人が多かったと思う。
 私も子供の頃を思い起こすと、子供が持っている膨大で暇な時間を、静寂の中で芝生に仰向けになり、ものを考えるでも考えるでもなく、ただボーっと、永久とも思える長い時間、行く空の雲を視界に入れ、風に身を委ねて心地良さを味わっていた。
 今の自分を観察すると、ゆったりとボーっとしようとして何の音もしない空間に身を置いても、すぐに落ち着きがなくなり、何かの音を求めてしまい、昔のように静かな時空の心地よさを味わえない。
 何故だろう、年を重ねた為か、時代のテンポの速さと騒音に飼いならされてしまったためか。あるいは、今でも田舎に行くと味わえる、静寂のやすらぎを作り出す鳥の囀り、虫の声の静けさが、都会の生活ではほとんど聞こえなくなったためだろうか。もちろん今でも静かでなければ落ち着かない方々もいらっしゃるだろうが、私と同じくテレビを点けながら他の事をしている人種も多いはずである。ナガラ族が良いか悪いか分からないが、集中力は低下する気がする。
 テレビは点けっぱなし状態の病室で空腹の千松が気の付くことは料理番組の多さである
今まで全く気にも掛けなかったが、実に多い。飲食関係のコマーシャルを合わせると一日中料理番組が流れている。加熱食を食する身の上では、旬の脂の乗り切った素材を見るだけで「あぁーうまそう」と口走ってしまう。
 その上、いままで甘い物を見るだけでゾーッとする位甘い物に感心がなかったのに、お菓子の作り方などを放送していると、垂涎の眼差しでテレビ画面に釘付けになる。変われば変るものだ。闘病生活は私にとって闘食生活でもある。これらの料理番組を、今この地球上で飢餓に苦しんでいる人々が見たらどう思うのであろうか。