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成田屋通信
2005年10月13日
入院日記13

入院日記が更新されました。引き続き昨年5月のひもじかったお話です。  特異体質ではないかと思われる位、いたって健康な、いや健康ではない、白血病を患って治療を受け、貧血状態であり抵抗力もないボロボロの状態のはずだが、何故か自分自身は体の芯の部分に元気が残っている。そんな感覚で食欲は衰えない。
 病院の食事時間は、朝は8時ごろ、昼は12時過ぎごろ、夜は6時ごろ配膳される。
 入院中の楽しみといえば食事ぐらいと言っていい。
 普段の食事とは比べようもないほど、カロリーが押さえられ、見た目だけでもすぐ分かる加熱食の品々がトレーの上に並んでいる。
 娑婆(しゃば)では夕食の時、必ずといっていいほど、食卓にはビールなどが添えられていて、一杯飲みながら取り止めのない話をしてゆっくり30分から1時間かけて食べるのが習慣であった。
 ところが、低カロリーに押さえられ、気の利いた添え物もない食事は、わずか5分位で終わってしまう。
 これではイカン、せめて20分位はかけようとゆっくり食べ始めたが、なかなか難しい。せいぜい15分が精一杯だった。
 楽しみの時間を長くしたいと思うのは人の願望であろうが、短いから楽しみであって、長くしなくてはと思うと楽しみでも何でもなくなる。
 夕食が終わってお茶でも飲んでいると、俄かに空腹感が襲ってくる。
 「冗談じゃない。もうお腹が空いてきた。朝の食事まで14時間もあるのにどうしよう。」
 いくら空腹になっても、加熱食以外口にすることはできない。
 明け方空腹感で目が覚める。「ひもじい」この感覚で目が覚めるのは、いつ以来だろう。
 今「先代萩」の千松を演じたら、日本一の演技ができると自信を持って言える空腹感である。やっと加熱された朝食が運ばれて来て、脂っ気のない食べ物が視界に入ってくる。
 「あれ、もうママじゃぁ。うれしい、うれしい。」
 千松の発するセリフの意味が、飽食の生活環境で聞いていたのと、今の境遇で聞くのでは、まるで違って聞こえて来る。
 旨いも不味いもない、無我夢中で箸を口に運んでいる身の上では千松の切なさ哀れさが身につまされ、今度「先代萩」を観たら滂沱の涙で前が見えなくなるだろう。
 それにしても、日本語は良く出来ている。
 日本語の学者ではないので詳しくは分からないが、「脂(アブラ)」という字から、肌、腰、胸など、体の一部を表す偏の肉月をとれば「旨い(ウマイ)」となる。
 語意の底に、旨い物には脂があると言っているのである。
 正に脂っ気の抜けた料理は不味(マズ)い。昔から日本人は初物、旬の物を好んだ。これ等は、適度に良質の脂がのっているのから美味しいのだ。
 脂の完全に抜けた豚肉の一片を口に運び、噛みぐあいのあっさり感に寂しさを覚えつつ、日本語の深さをはじめ各分野での先人達の物を見る目の凄さ、観察、洞察の確かさが今の私達の生活の基礎をなし静かに支えているのを痛切に感じる。
 たかが加熱食の、脂っ気の抜けた豚肉一片を口にしただけで、こんな文化論を述べるとは何事だ!とお叱りをうけそうだが、ニュートンはりんごの落ちるのを見て万有引力を発見した。
 十二代目團十郎は一片の豚肉で文化論を述べた。 
 次元が違う!ますます怒られそうだ。