入院日記が更新されました。引き続き昨年5月のお話で、輸血を受けた体験談です。
献血は経験あったが、輸血を受けるのは初めてである。今は検査技術の向上で、輸血の安全性は飛躍的に良くなっている。エイズ、各種の肝炎などの感染には万全の体制で安全性を確保しているので問題はないが、100パーセントという訳にはいかない。まず心配はないが万が一の為、書面に承諾のサインをする。
輸血は、採血された血を何らかの処理をして、必要とする患者にそのまま輸血されると思っていたら、そうではない。赤血球は赤血球だけ、血小板は血小板だけ、と分けられ、処理されたものを、必要に応じて輸血される。
まず、アレルギーを抑制する薬を投与され、輸血を受ける。赤血球は保存の面で比較的長持ちする。輸血を受けても拒否反応は少なく、患者としては楽に受けられる。
一方血小板の方は、採血してから早く投与しなければならない。管理している赤十字血液センターに予約して、時間を定め、血液センターから届き次第、直ぐ輸血する。吐き気を止めたりアレルギーを緩和する薬を投与してから輸血をするが、人には相性というのがあるとつくづく感じる。
輸血される血は、一人一人の善意によって支えられている。輸血を受けながらその善意のありがたさに感謝し、提供してくれた人はどんな人なのだろう、直接逢ってお礼が言いたいという気持ちになる。しかし、何処のどなたの善意によって提供されたのか分からないようになっている。輸血は現代において、より安全に安定したものになっているが、考え方によっては、輸血は臓器移植の一つである。私の感覚では、輸血は割合簡単なものと思っていたが、慎重に行わなければならないものである。
血小板の輸血の場合、相性によってはかなり厳しいアレルギーのおきる時もあるため、輸血の前に何項目かチェックをして、安全を確かめる。
初めてこの輸血を受けた時、何も知らない私は、輸血を受け始めて間もなく、何となく違和感がではじめたが、大した事はないと思い我慢していた。
医師は、輸血や新しい薬を使う時は、5分から10分は必ず傍にいて患者の様子を診ていてくれ、「どうですか」と、尋ねてくれるのだが、「大丈夫です」と、答えてしまった。
医師が帰ってしばらくすると、全身が痒くなりはじめ、体中が腫れてきて、アレルギーを起こした。アレルギー止めの薬を打ったが、なかなか元に戻らなかった。
私の場合、一番合わなかったときでも全部輸血出来たが、あまり反応が強すぎると途中で中止することもあり、せっかくの善意が届かない場合もあるのだ。
私の教訓としては、少しでもおかしい、違和感があると感じたら直ぐに医師に訴えた方が賢明である。自分も楽だし、医学的にもそのほうが良いとのことである。
相性のいい時は、ウツラウツラしながら心地よく終わってしまう。相性があまり合わない時は、黄色っぽい色の血小板の入った袋を眺めながら、
「本当にありがとう。あなたのお陰で私の体の窮地を助けて貰いました。でも、あなたとはあまり相性が良くないようで、残念ながらせっかくの好意を甘受できなくて申し訳ない」と思う。
しかし待てよ、この血小板を提供してくれたのは、男性だろうか、女性だろうか?血液の型やRhプラス、マイマスの表示は袋に表示してあるが、男性、女性の記述はない。
黄色い袋がだんだん女の人の顔に見えてきた。しかも、なかなかの美人である。
「美女の血を戴いているかもしれない・・・。」
まぼろしが私の頭の中で、縁日で売っている風船のように大きく膨らんだ。
と、見舞いに来て椅子に掛け、テレビを見ていた家内がむっくと立ち上がり、
「どんなことを書いているの?」と日記を覗いてきた。
パーン!はち切れんばかりに膨らんだ風船が、小さな針に刺され弾け飛んだ音がした。
実にすごい女の勘である。おどおどする必要は少しもないのに、
「い、いや、前回入院して輸血を請けた時、もし若い女性の提供なら力が出るのではないかと、そんなことを思い出して、輸血のことを書いているんだ。」
ピッシャ、平手であたまを叩かれた。
「男の人って勝手なんだから。」
「別にいやらしいことではなくて、もしも若い人だったら、それに女性だったら免疫力が気分的にも上がると思う。女性だって若い男性の提供だったらそうじゃないか。」
「そんなこと思わないわ、ねぇ、看護婦さん。」
と、そばに居合わせた看護師さんに同意を求めた。彼女は手で口を押さえ笑いをこらえていた。
「でも、そんなこと書くの?」
この頃、俄か文筆家気取りでコンピューターに向かって、キーボードを叩き続けている私は、
「もちろん書くさ。だって、本当のことだし、お前のタイミングがあまりにもよかったから。」