入院日記の続きです。
夕方、医師が結果を報告にやって来た。やはり結果が心配でないといえば嘘になる。医師のドアの開け方や顔色を、無関心そうな態度を装いながら、無意識の内に、早く結果の良し悪しを読み取ろうとする。これは患者の立場になった人なら、誰でも経験する心理ではなかろうか。
医師の口が開き動き始める。患者である私の目と耳と脳ミソは、医師の言葉をそれぞれ別の立場で聞いている。目は出来もしない読唇術を使おうとする。耳は真実の音を聞き取ろうとしている。頭の中は「良い結果を云ってくれ、良い結果に違いない」と勝手に想いを巡らせている。
それぞれ、全く別に動いていた私の意識が、医師の言葉に少しずつ集中していく。
「悪い細胞は見当たらないようです。ただ、骨髄の中では血液の中の白血球と違って見分けにくいので、何とも言えません。でも、血小板や赤血球の子供達はしっかり出来ています」とのことであった。念じていた良い結果であったが、それだと言って白血病の再発が否定された訳ではなく、やはりPCR(DNAを用いた精密な検査)の結果を待たなければならない。
報告を終え、少し世間話をして担当医師は帰っていった。
しばらくして、主任の先生が入ってきた。
「報告はありましたか。採血の結果も骨髄穿刺の結果も良いようです。ただPCRの検査は4、5日かかりますから、その結果を見た上で今後の治療方針を決めます。」
とのことである。すかさず聞いてみる。
「ちょっと伺いますが、前回の検査が陽性でしたが、今回陰性になることは無いのですか。」
「二回の検査で陽性となっていますから、多分陽性に間違いはないでしょう。」
「陽性になったものが、何もせずに陰性になることは全く無いのでしょうか。」
「全く無いとはいえませんが、まず無いと思ってください。」
「どんな治療になるのですか。」
「前にもお話したように、この病院では医師、看護士がチームを組んで病気と対峙するシステムになっています。勿論、私見はありますが、皆で合議した上で方針を決めますので、退屈でしょうが待っていてください。」
とにかく待つよりしょうがない。万が一にも陰性になる可能性はないようだ。自分にそう言い聞かせ納得していても、やはり陰性になった時のことを考えてしまう。
陰性になればそれは嬉しいが、それだといって全く治療せずに済むのか。また陰性になって、秋の公演のスケジュールのキャンセルを公に発表しているのに、「ハーイ、陰性になりましたので出演しま〜す」と、ノコノコと出て行く訳にも行くまい。
さてどう対処したらよかろうかと、捕らぬ狸の皮算用で思案に耽っていると、携帯電話が勧進帳の長唄を演奏し始めた。ちなみに私の携帯電話の着メロは、妹の紅梅が作ってくれた勧進帳の寄せの合い方になっている電話を取ると、海老蔵であった。
「初日終わりました。検査どうだった。」
「血液も骨髄液も今の段階では問題ないが、詳しいことはこれからだ。」
「そう。」
「初日どうだった。」
「がんばってる、おやじもがんばって。」
「がんばるよ。」
「じゃあ。」
ガチャ。まことに素っ気ない会話であるが、いい大人同士の父親と息子の会話はどこでもこの程度だろう。