入院日記が更新されました
中途半端な楊枝のような棒は、テレビ用アンテナであった。
もとよりそんな事は知らなかったが、子供心にも中途半端な伸び方は非常に不満であった。そんな気持ちを他所に、昭和33年に東京タワーは完成した。
その東京タワーも、今年で47歳となる。
つくづく改めて眺めてみると、若い頃スリムであったボディーも、中年肥りになったようだ。といって、カッコウが悪くなったのではない。
大展望台の上には、テレビ局中継アンテナやラジオ中継アンテナが延びている。
子供の頃気に入らなかったチョン切れた部分は、デジタルテレビ用アンテナで装備され、ちょっと重そうだが前より少し様になっていると思う。
夜になると、以前は下からの仄かな照明だけであったが、今は、冬はオレンジ色、夏は薄いブルーになった。
この照明は以前対談させていただいたことがある照明デザイナーの石井幹子さんの設計である。
石井さんの西麻布のアトリエに伺うと、興味津々な器具や装置が整然と配置されて、とても楽しい空間が用意されていた。四分一しか無いシャンデリアが完全なシャンデリアに見えたり、照明で影になり暗くなる部分が全く違う色で明るくなったり、掛け軸が照明になったりと、不思議な世界が展開されており、興味が尽きなかった。
その対談の中で、東京タワーの照明の電気代は低額で済むような工夫がなされていると伺い、見た目だけではなく経済性も考慮しているとは流石と思ったことを、ライトアップを見ているうちに思い出した。
47歳になった東京タワーは進化を続けているが、一つ気に入らないところがある。それは赤と白のペインティングである。
東京タワーが生まれたての時は、確か全体が赤で統一されていた。それが航空法か、どんな法律に依るものか、いくら年を取ったからとはいえ、赤と白になったとは寂しい気がする。
昨年、フランスはパリのトロカデロ広場にあるシャイヨー劇場にて海老蔵襲名公演があり、私も白血病の治療が順調に進んだお陰で公演に参加した。
トロカデロ広場はパリの観光名所で、広場から眺めると、目の前にエッフェル塔が大迫力で鉄色のがっしりした容貌をこれみよがしに見せてくれる。
そこには自信と確固たる誇りがある。
パリの景観の素晴らしさにも圧倒されたが、エッフェル塔の、あたかもパリの街を従えているような自信とその美しさに、時を忘れた。
こんな素敵な景色を見せられて、私たちの歌舞伎公演も、おこがましいが日本の文化を代表して堂々と誇りを持って舞台に立たねばならんと、教えられた気がした。
いま、病室から見える東京タワーは可哀相だ。東京を象徴する立派な建造物なのに、ピエロの服を着せられている。文化の時代、心の時代と云いながら、今の我々は一つの事一つ物に対して無関心すぎる気がする。
法律は守らなければならない。だが、その法律を越える文化の法律は存在しないのか、そんなことを思いながら、明日は骨髄穿刺の検査だ。