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成田屋通信
2003年01月10日
團十郎より 新年のご挨拶(その1)

團十郎より新年のご挨拶です。今回はたっぷりいただきましたので、連載とさせていただきます。お楽しみに。  新年おめでとうございます。ご無沙汰しておりますが、皆様から送られた多くのメールを楽しく拝見しております。
 昨年は、大阪松竹座の『連獅子』から始まり、9月には「上意討ち」に挑戦させていただきました。その折は皆様から多くのご意見を頂戴しまして、ありがたく思っております。
 10月は、赤穂浪士の討ち入りから三百年という事で、『仮名手本忠臣蔵』の通し狂言に四段目の大星由良之助と、七段目の寺岡平右衛門を勤め、11月は『新薄雪物語』と忙しく過ぎましたが、昨年の秋で本当に嬉しかったのは東京の紅葉が実に美しかったことです。
 ここ何年かは銀杏の葉も黄葉というにはほど遠く、ただ茶色く枯れたという風情で何となく寂しい限りでしたが、去年の銀杏並木の美しさは、黄色い銀杏のカーテンに陽が当たると薄く透きとおるように輝いて見え、清々しい気持ちで東京の街を歌舞伎座まで通うことができました。折から『新薄雪物語』で伊賀守というお爺さんの役だったので、少し気の滅入るところ、秋の紅葉の美しさが助けてくれました。
 12月は、久しぶりの京都南座の顔見世興行に出演し『勧進帳』の弁慶を勤めました。前回は、平成12年12月歌舞伎座でした。20世紀最後の歌舞伎公演に弁慶を勤めさせていただいたこと、廻り合わせとはいえ何か深い感慨がありました。
 歌舞伎十八番『勧進帳』は、19世紀に作られ、20世紀に最も多く演じられ、多くの役者さんが挑戦してこられた、その世紀の最後が私で良いのだろうか。そんな思いが頭の中を廻りました。
 冗談ですが“平成十二年十二月に十二代目團十郎が逆立ちして二十世紀の最後を飾っても良いかな”とも思っておりました。ただ、最後の3日間、声が出にくくなってしまったことが残念でした。
 昨年の顔見世の『勧進帳』は、私にとっては21世紀最初の弁慶でしたので、そのような事の無いように心掛けて勤めました。お蔭様で無事に勤め上げることが出来、ホッとしております。