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成田屋通信
2002年10月25日
事務所のつぶやき17号 『小唄夜雨會<こうたやうかい>』の由来

『小唄夜雨會』の成り立ちについてご質問をいただきましたのでお答えいたします。 『小唄夜雨會』とはどのような会なんでしょうか、というご質問をいただきました。
 ちょうど、今年のパンフレットの夜雨會会長の上村幸以様が御挨拶文として由来をお書きになっていらっしゃいましたので、ここに引用させていただきます。

 「十代目團十郎丈は、市川三升の名で助六・玄冶店・直侍・三千歳・蝶千鳥・権八などの作詞をされ、吉田草紙庵とのコンビで小唄の隆盛に功績を残された達人であります。
 その三升さんが亡くなられて一周忌の折、伊東深水・遠藤為春・田中青滋・小松原良三・堀田八二朗の諸氏が、生前ゆかりの深かった「八百膳」で追悼小唄会を開催し、このとき三升さんの俳号「夜雨<やう>」からとった『小唄夜雨會』が誕生しました。
 その後、月日の経つうちに会員が少なくなり『小唄夜雨會』も存続が危ぶまれることとなりましたが、中田末男さんの音頭取りで平成三年九月『小唄夜雨會』の復活となり、同時に十二代目團十郎丈に舞台に華を添えて戴いて今日に至っております。」

 ちなみにパンフレットの題字は伊東深水画伯がお書きになったものとの事です。