七代目團十郎が「市川流」の「歌舞妓狂言組十八番」の制定を公表したのは、 天保3年(1832)3月の市村座で「助六」を演じ、息子海老蔵<えびぞう>に八代目團十郎を襲名させて自分は海老蔵と改名したときのことでした。
歌舞伎十八番に含まれた狂言は、いずれも初代・二代目・四代目によって初演されたものの中から選ばれています。
テキスト | :服部幸雄著『市川團十郎代々』(講談社刊)より |
写真 | :福田尚武撮影(暫、矢の根、助六、押戻、解脱) :小川知子撮影(鳴神、外郎売、不動、毛抜、不破、景清) :渡辺文雄撮影(勧進帳) |
錦絵 | :国立国会図書館蔵 |